2017/06/19

明け方5時頃に目が覚めた。夫はかけ布団を頭まですっぽり被って、まだ眠っていた。寝ぼけているのもあってか、自分の欲望をこらえきれなかった。夫の脚を包み込んでいるかけ布団を剥いだ。そしてカーテンを開けるべく寝床を出た。カーテンを開けて振り返ると、朝の青白い光が夫の脚を照らしている。生気の無い青白い脚。これが見たかった。夫が寝返りをうって布団にくるまり直すまで、ずっと死体のような脚を見つめていた。再び睡魔がやってきて、もう一度眠った。

再び目を覚ましたのは8時15分だった。おはようございますと言いながら私の身体を揺する夫を、先ほどよりもさらに寝ぼけた頭のまま抱きしめた。

娘達はとっくに家を出ていた。味噌汁をいただきながら、今日の業務は忙しいだろうか、上司は今日出勤してくるのだろうか、私が休みの間の売り上げはどうだったのだろうかなど、色々なことを考えた。

すると突然、夫が私の顔を両手で挟むように触れた。そして、最近吐きました?と聞かれた。唾液腺が腫れて顔がすこし丸いです、そういうと夫は私の顔をむにむにと揉み始めた。吐いてないよ。と言っておいたが、実のところ吐いた。バケットを丸一本食べた時だ。薄く切り、表面にマーガリンを塗りたくった。さらに塩を振りかけて、ポテトサラダをのせた。

夫は私の隠しごとをいつも見抜く。夫は私のネクタイを締めながら、ほどほどに、と言った。涙が出てきた。そうします、と返事をした。

もっと派手なことしないと、もう見てもらえないよ?君は飽きられたんだ。

ずっとそう言われて生きてきた。どこの誰に分かってもらおうとかなんて思ってないなんて言いながら、ずっと人の目を気にしてきた。なのでたくさんたくさん無茶をした。もう震えない手でペンを持てる日は来ないけれど、夫がいれば、もう大丈夫なんじゃないかと思った。

2017/06/17

朝起きて最初に発した言葉は死にたい、だった。夫は横でオロオロしていた。病態が悪化しているのではと心配して、夫が病院に電話をかけ始めた。コールセンターのオペレーターだっただけあって、素晴らしく迅速、かつ美しい通話だった。私の頭の中の電話交換手も頻繁にパンクしていないで、これくらいのスキルを身につけて欲しいものである。

夫はすぐに家を出ようと言ったが、今日の私は死んでもすっぴんで外に出たくない気分だった。なので急かす夫を無視して、悠々と化粧品を顔に塗りたくった。

病院にたどり着いてから気が付いたのだが、夫に急かされたせいか私は薬の服用量を間違えてしまったことに気が付いた。まだ朝なのに、夜の分まで薬を飲んでしまっていた。どおりで身体がふわふわするはずだ。沈んでいた気分はどこへやら、私は完全にハイになっていた。

診察室に入ったあたりから記憶がない。夫が言うには今まで見たこともないくらい饒舌だったそうだ。私はしゃべるのが嫌いだ。話し相手に気を使うから。しかし同時に、私は話すのをやめられないのだった。話していないと嫌な感覚が細胞や脳髄の電話交換手達の間に駆け巡るからだ。

薬が切れて落ち着いてきた頃、処方が少し変わったことに気が付いた。どうやらその時の私では話にならなかったようで、夫を代理人として診察がされたようだ。帰り道、夫は私にジュースを買い与えてくれた。どうやら私が、ライフガードを飲みたいと駄々をこねたらしい。

本当は今日、図書館に行きたかった。早く面白くなかった本の山を返したかったから。しかし病院と反対方向な上、夫に今日は寝ていてくださいと言われてしまった。手早く寝床の支度をされ、私は半ば強引に寝かしつけられてしまった。

なので今日のブログは目が覚めた先ほどからずっと、布団の中から更新している。コンタクトを装着したまま寝てしまったので、目が乾いてしょうがない。ピントも合わなくて文字の入力にとても苦労している。

玄関からガチャガチャッと音がした。買い出しに行っていた夫が帰ってきた。しばらくすると夫は温かい紅茶を持って部屋に入ってきた。私にカップを渡したら部屋からすぐ退出しようとしたので、いつものは?と言ってみた。はいはい、そう言って夫は私の横にしゃがみながら少し上を向いた。すると彼の瞳から雲母が剥がれてきた。しかし、すぐに彼の瞬きによって薄い雲母は砕けてしまった。彼の瞳からこぼれた雲母を紅茶に入れると、透き通った紫色になった。

この雲母は私にしかみえない。朱色の鳥の大群が目の前を通り過ぎていくのも、空から黄ばんだカーテンが降りてくるのも、公園に咲いている花が噂話を始めるのも、電灯の光が毒電波を放つのも、全て私にしか見えない。

夫はきっと、私のことを壊れてしまった人間だと思っている。違う。嘘じゃない。この世界は本当にこのような有様なのだ。誰にも見えていなかったとしても、これは私がおかしいんじゃない。皆が現実を見ないふりしているだけなのだ。これが真の世界だ。早く皆、現実を受け入れて欲しい。そして私を。どうか。どうか。群れの中へ。

2017/06/15

最近、躁状態のケがある。力がみなぎり、気分も良い。夫よりも早く起床して家事を全てこなし、買い出しまで済ませた。これでもう夫は今日一日やることがない。せいぜい夕食の支度と浴槽に湯をためることだけだ。

夫が起床したのは11時半だった。専業主夫なのに甘ったれていると思った人もいるだろう。本当のことを言うと、夫が起きてこないように目覚ましのアラームを切っておいたからだ。夫は家事をする以外の趣味がない。なので手持ち無沙汰な時、何をするのか見てみたかったのだ。

結果は実に面白くないものだった。夫は大掃除を始めてしまった。フローリングのワックスがけ、洗濯槽のカビ取り、窓の拭き掃除、目線より高いところのホコリ取り、換気扇に付着した油汚れの除去……

私がなんだか居心地が悪くなり、家のすぐ前にある公園で夫の大掃除が終わるのを待つことにした。公園では子供が数人駆け回っていた。子供の邪魔をするまいと、公園の一番目立たないところにある鉄棒でさかあがりをしていた。

無意味にくるくる回転して遊んでいると、足音が聞こえた。鉄棒に丸まって引っ付いたまま足音がした方を見た。少年が一人。さかあがり教えてよ、と言った。暇だったので付き合うことにした。もうすぐ体育の授業でテストがあるらしい、そしてお察しのとおり彼はさかあがりが出来ない。

とりあえず彼のさかあがりの完成度を知りたかったので、回ってもらうことにした。肘を曲げて鉄棒を握り締め、勢いをつけて飛び跳ね……

飛び跳ね……

飛び跳ね……たが、上手くいかずドスンという音を立てて足から落ちた。

いてぇよ…いてぇよ…と呻きながら地面を転がり回っている彼に大丈夫かと声をかけた。今日は痛い思いしたからもう帰る、また会ったら今度こそ教えてくれよな。そう言って彼は公園から走って出て行った。なんだったのか。

家に帰ると頬に油汚れを付着させた夫が私を迎えた。夫に顔を洗うよう伝えた後に、君はさかあがりができるかと問うた。出来ますが、と返ってきた。

私は夫を公園に連れ出し、鉄棒の前に立たせた。夫は少し困り眉のまま微笑んだ。やってみてと告げると、彼は鉄棒を握り締め、地面を蹴った。砂が私の口をめがけて少し飛んできた。3回転してようやく夫は地に足を付けた。

どんなもんですと少し自慢げな笑みを浮かべる夫に、すみませんでしたと謝罪をした。私は運動が嫌いだ。身体が頭についてこないからいらいらしてくる。しかし今日の私は運動に感謝せねばならない。夫はアルカイックスマイル以外の表情をすることもできる、ということを教えてくれたから。

2017/06/14

病院にTELした。誰も出ない。診察券をよくよく見てみると、今日は休診日だった。薬が今晩の分で切れてしまう。大変だ。だがそれも仕方ない。

薬が切れてしまうという事実を忘れようと、図書館で借りた退屈な本を開いた。ちょうど開いた260ページ目の余白に、びっちりとメモ書きがされていた。

パモ酸ヒドロキシジン・アタラックスP

ロラゼパムワイパックス

ジアゼパムセルシン

クロルジアゼポキシド・コントール、バランス

アルプラゾラム・コンスタン

オキサゾラム・セレナール

トフィソパム・グランダキシン

リーゼ・クロチアゼパム

私よりもずっと前にこの本を借りた人物の処方箋だろうか?おまけに260ページの文章中にも何箇所か印が付いている。リスロンSの名に丸がうってあったり、フルトプラゼパムの横に黒丸が付いていたり、デパスの横に『セデコパン』と書いてある。いい加減にしろ。これはお前の私物ではない。イライラしてきたので本を閉じた。

気分転換に家の中をうろついていると、包丁がまな板を叩く音が聞こえた。夫が何かを刻んでいる。夫は私の前で食事をしたことがあまりない。ストローを挿したコップでジュースを飲むばかりで、固形物を食べているところをほとんど見たことがない。夫が普段何を食べているのか、その疑問の誘惑に負け、夫の背後に忍び寄った。

そっと覗き込むと、夫が刻んでいたのはセロリだった。その横にはプレーンヨーグルトが置かれている。すると突然夫が振り向き、お互い驚いた顔をしてしまった。夫はとっさに背後にそのセロリとヨーグルトの混合物を隠した。

夫がぎこちない微笑みを浮かべながら首を傾げている。大変悪いことをした気になって、好奇心に負けたことを素直に伝えた。

夫はセロリとヨーグルトの混合物に塩をパラパラ振り入れながら、僕だって食べないと死んでしまいます。と、呟いた。夫の作っていたヨーグルトの混合物は、個人的にあまり美味しいものではなかった。なので夫が少なめにひと匙すくっては口に含むのを、私はじっと見ていた。彼の所作は美しい。グリースであげていた前髪が少し落ちて顔にかかっているのを、大変にいやらしい目で見つめていた。結局、夫は作った混合物を全ては食べきれなかった。

この残り、今夜のおかずとして出していいですかと聞かれたのでやめてほしいとだけ伝えておいた。

2017/06/13

図書館で借りた本が面白くなかった。近頃、ほぼ100%といっていいくらいハズレを引く。しかし今回は本当に酷い。全細胞が非難の声を投げつけあっているせいで、脳髄の電話交換手がパニックを起こしている。

私はは教えてほしかった。将来を忘れる一瞬を。肉体的な快感を。幸福を運ぶ物質を。21gの魂の正体を。しかしそれは叶わなかった。この本を図書館に返しに行く労力が惜しい。

そんなことを考えていたら出勤時間を過ぎていた。夫の手から弁当箱をひったくるように受け取って、慌てて家を出た。急いだだけあって、タイムカードをいつもの時間に押すことに成功した。照明と空調の電源を入れると、作業台の上が明るくなった。業務の引き継ぎ願いがのっていた。

『アクセサリーを並べる』

『並べきれなかったアクセサリーをしまう』

『大掃除の続き』

『ショーウィンドウの展示品を変える(三箇所)』

『昨晩お客様が散らかしたショールを元どおり陳列する』

『倉庫の定期整理』

『両替(40万円分)』

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一人で業務をこなさなければならない日に限って引き継ぎは多い。おいクソ店員!そう叫びながら呼び鈴を連打するお客に釣り銭を渡しながら、もう帰りたいと思った。

今夜は刺身が食べたい、と夫には伝えてある。マグロがいいとも言った。でもマグロ以外でもいいとも伝えてある。夫は何を買ってきてくれるのだろうか。

空調が効きすぎて寒いくらいの店内で、私は夕飯のことを考えながらアクセサリーを並べていた。シャンデリアが眩しい。空調から吹き出す埃っぽい風が、シャンデリアのクリアーなパーツを揺らしている。シャンデリアと空調は私の全細胞と、今夜の刺身が何になるかという賭けを始めた。

結果は全員惨敗の、つばすだった。相談の末、賭け金は全てジュースとお菓子にとなって夫の手に渡った。夫は少し驚いていたが、すぐにいつも通り微笑んだ。私は、この賭けが全員の惨敗で終わってよかったと心から思った。

2017/06/12

8時15分に目を覚ました。起きた瞬間からとてつもない絶望感がした。朝食を用意する気力すらないなか、私はなんとか湯を沸かしカップヌードル抹茶味を完成させた。この絶望感、きっと昨晩のことが関係している。

昨晩、私は両親と食卓を囲んだ。久々に3人揃うということで、食卓はいつもに比べ豪華だった。ここまでは良かった。父親が料理の出来にケチをつけ始めて、食卓は一気に暗くなった。会話も途切れてしまい、私は食事を用意した母親の顔色をびくびくしながら伺っていた。

すると突然父親が、お前ちゃんと仕事をこなせているのか、と聞いてきた。そして今度は私の働きぶりにケチをつけ始めた。今日もお前は全く話さないし、話せば口ごもっていて、正直仕事出来てないんじゃないのか、と言った。母親は、今の職に就いてどれだけ経つと思っているのか、出来ているに決まっている、と少し苛立ちながら返事をした。

その後も父親はケチをつけ続け、最終的には私の食生活にまで口出ししてきた。なので私は食事を早々に切り上げて入浴し、さっさと寝た。

起床した瞬間、食生活にケチをつけられたのを思い出して腹が立ったので、まだ眠っている父親の真横でカップヌードル抹茶味をすすってやった。私は父親を恐れているので、この程度の反抗をするのが精一杯だった。

しかし、朝食がほとんど食べられないくせに朝食でカップヌードルを完食したため、予想通り吐いてしまった。これから仕事だと言うのにテンションが急降下した。

ベランダに出ると、雲が多いわりに美しい青空が広がっていた。風が強い。ビュゥゥゥと音がして、洗濯物が揺れている。この音は青空の悲鳴だ。姿を変えることはできても、この世から決して消えることが出来ない青空の嘆きだ。私は青空が嫌いだ。この世から足跡1つ残さず消えたくなるから。私は青空が好きだ。青空は私の自己消滅を手伝ってくれる気がするから。

私は慌てて手紙を書いて、その便箋を飛行機型に折った。そしてベランダからその便箋飛行機を飛ばした。きっと青空はこの手紙を読んでくれる。私は消滅したい。私を呼んでいる雲と。私を呼んでいる空と。

2017/06/11

あなたを愛しています。

私はよくそう言った。わりと誰にでも言った。そんなこと微塵も思っていなくとも言った。それには言葉にならない不安感か深く関係している。私は強い不安感に襲われることが多々ある。私は常に不安感があるが、強い不安感に襲われると本当に耐えがたい瞬間がある。命を絶つ勢いの逃避行動に出てしまったこともある。

近頃は夫が傍にいるのでそれほどの逃避行動には出なくなったが、それでも夫の背骨が鳴る音がするくらい彼を抱きしめる日もある。そして、愛していると告げる。私は愛しているという言葉が好きだ。手軽に安心感を得られるから。私は愛しているという言葉が嫌いだ。不安感に白旗を上げているということを実感するから。

誰か有名な人物も、不安になると愛を語ってしまうと言っていた。いつでも私は誰かの傍においてほしいと強く願っている。なので肯定もしないが否定もしない、ただ微笑んで私を待っているだけの夫を選んだ。初めて自分の語る愛が本物になった気がした。

私は夫を愛している自分が嫌いだ。己の意見を述べない人形しか愛せなかった自分が嫌いだ。私は夫を愛している自分が好きだ。己の意見を述べない人形と化すことで精神に世界との断絶の壁を築いた人間に選ばれた、この世でただ一人の、唯一の人間であることを実感できるから。